atsu-papa

くず中のくず

 「人間のくず」って言うべき連中もあまたいるですが、一方でどんな人間であってもこの世に生を受けて生きながらえるに値する価値を持っているとも言うです。誰かに出会うためだったり、誰かから見つめられるためだったり、直接の関わりだけではなく、何かの意味を持って生きているものだと言われるです。
 しかしですよ、兵庫県伊丹市鴻池で、電動車いすで散歩していた83歳のじいちゃんのバッグを無理矢理強奪した連中はまさに「人間のくず」です。
 会社勤めならば即刻解雇、よしんば、やくざの世界でもこれは任侠道に反する行為で指詰めた位じゃ済まされない。男4人がかりでじいちゃんの腕掴んでの強盗だって言うですから、チンコ詰める位の極刑に値するです。
 体罰はけしからんって言うようになって、学校が荒廃するようになったし、とんでもない事件を起こすやつも多くなったんじゃないですかね。PAPAたちの世代では学校での体罰は当たり前だったですし、いわゆる常識的に持ち合わせるべき世間体や恥というものを教わったです。人権の主張はわからんではないですが、“人でなし”ならば人の権利を与えるべきではないです。要するに社会性を持ち合わせない生き物になりさがったらそこに人権などあり得ない、生きている価値などないと思うですよ。少なくともその刹那ではです。
 男を次々に殺してのうのうと生きてるおばちゃんがあっちこっちにいるなんて考えられないし、じいちゃんを男4人がかりで暴行を加えて金を取るなんて最低です。昔は「世間体ばかりを気にしなくっても」って回りから言われるくらい世間体を気にしたものです。それこそが社会参加する人たちの最低のマナーだったからなのですが、個性を尊重するあまり、その最低のマナーまで失ってしまったのでは、もはや人間性が損なわれていると言わざるを得ないです。

atsu-papaの投稿(10:20:28-2009-11-16) - カテゴリ: 時事に思うこと

コメント

No comments yet

コメントを追加

:

:

トラックバック

DISALLOWED (TrackBack)

TrackBack URL

DISALLOWED (TrackBack)