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死に方の選択
昔は「畳の上で死にたい。」って良く聞いたですが、そりゃぁ行き倒れとか、不慮の事故でではなくってって言う意味だったですかね。厚労省の「終末期医療に関する調査等検討会」がまとめたデータでは自宅での看取りを希望している国民が約6割だったはずなのに、各地で行われる意識調査では66.9%もの人が自宅外を希望してるです。
もっとも、既に終末期医療をとして入院中の方々に退院を勧告された場合に希望する療養場所を問うてるですから、ぴんぴん元気な人たちの回答とはかなり異なるのは察しがつくですが、むしろ終末期医療に関する実感はこの療養を行っている方々の方が現実味があるです。
さらに自宅で療養中であっても肺炎なんかの疾患を併発した場合はやっぱり病院や介護施設の方が多くって、最後まで自宅を望む人って12.5%しかいなかったそうですよ。
そりゃぁそうです。独居だったり高齢者だけの家族だったら自宅で看取って貰おうって思う方が無茶ですよ。誰が世話するかを考えたら病院や介護施設の方がこれまた現実味があるです。
要は厚労省の思惑のベースになった終末期医療に関する調査のデータそのものがかなり怪しい訳ですから、それを元に強引に在宅死者をふやさんがための仕組みを押しつけられても困る人ばっかりって事になるです。
それに今では医療機関以外で死んだら不審死で検死がいるですよ。もっとも、その点では病院の中だと言っておちおち油断はできない時代にはなってるですが、自宅の布団の上で死んだからって警察に調べられるのも不愉快と言えば不愉快ですよ。
かくして、「畳の上で死にたい。」はもはや死語ですね。物理的に畳を下に敷いて死ぬにしても、やっぱりそれなりの療養施設でそれなりの処置を施されて、可能であれば子供や孫に看取られながらって言うのがどうも現実的な理想型なのかも知れないですね。
でも、厚労省はそれをさせないようにしてるです。個人病院も大変ですし、介護の現場も大変ですよ。何が大変かって、それをいちいちあげつらえないほど沢山の大変があるです。
かくしてPAPAの場合は第3の選択をしなきゃいけないですか。行き倒れるか、不慮の事故で死ぬか。
これはこれで、それなりにハードル高いですよ。
atsu-papaの投稿(23:57:00-2008-06-06) -
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