atsu-papa
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悲しい無知
知らないという事は時に罪な事だとは思っていたです。知る手立てがあるのに知ろうとしなかったのは自分自身の怠慢だとも自覚してるです。情報がこれほどあふれかえっているのに、それをつぶさにキャッチして掌握すると言う事は無謀ではあるけれど、どのみち自分の生活範囲でとらえると、情報の取捨選択は決して難しい話ではないですよ。
つまり、身の回りに事について「知らなかった」と言う事は怠惰故に犯してしまった罪であるとPAPAは認識してるです。
月末に所持金が逼迫して何とか今月10日まで倹約に努めながら生きながらえようと言う矢先につい、「お昼ご飯くらい食べても」って甘えた考えが浮かんじゃった。食べて以て言う事は、食べなくってもと言う事なのですよ。ここが甘かったです。
久しく訪れた事のない橙色の看板に橙色の幟、そこに280円とあったです。吉野家なのですよ。ラーメンの290円よりも10円安いのだから、贅沢だけどお昼ご飯をためようかなっていう邪念に押されて入っちゃった。「並」を頼んだあとで牛丼と牛鍋丼の違いに気がついたです。
短いながらもその牛丼が既に丼に注がれている光景を目にしながら後悔の念が頭中をよぎるです。伝票には牛丼・並のところに赤鉛筆です。正直なところ味がしないですよ。やってしまったものは仕方がないですから、せめて思いっきり380円分の喜びに満たされればよいのに、心の中では100円分落ち込んでしまう。はかない抵抗と言えば紅ショウガと七味をいっぱいかけるくらいですか。それでも100円には届かない。
怠惰故に行ってしまった愚行。無知故の罪。暫くはお昼はないです。そもそもメタボっ気があるですから、神が与えし好機と覚えて感謝するです。それにしても、豆腐と白滝が入っている方がPAPAとしてはお好みだったのですよ。
atsu-papaの投稿(16:30:00-2010-09-04) -
カテゴリ:
時事に思うこと
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